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ガラスの宇宙                                                    

 

 

たまたま読んだ本に、ガラスのことが書いてありました。ふしぎな物体なのだと・・・。ほとんどすべてのものは固体と液体と気体にわけられるそうです。でも、ガラスについては固体でありながら、厳密には液体でもあるということです。

「ほんとかなあ」

 茂は自分の部屋の学習机の上に置かれた小さなびんを見ていました。ふだんは気にとめたこともありませんが、顔をいっぱいに近づけてみると、青い花びんは、どこまでもすんでいて、そこに深く遠い世界があるように思われました。

 毎日なにかにおこっていました。ひとつのことに対してではありません。学校では友だちに腹が立つこともあれば、先生にむかっときたりもします。家に帰ればお父さんにもお母さんにも、弟にも妹にも腹が立ちます。テレビをつけると、それにももんくがいいたくなるぐあいです。「つまらない」というのが口ぐせになっていました。

「ああ、つまらないなあ」

 この時も口ぐせのこのことばをはきながら、まどの外の遠い景色をぼんやりと見ていました。青空の白い雲も、木々の緑も、茂の心とは無縁のもののようでした。茂は視線を部屋の中にもどしました。と、その瞬間です。どうしたことでしょう。目の前がまっ暗になりました。暗やみの世界になったかと思うと、遠くから強い光がこちらのほうへ注がれてきます。レーザー光線のようにまっすぐないくつもの線がおどるようにゆらめいていました。そして細いいく筋もの光の線は一つのたばになりました。それははるかかなたから茂の足元までをつないで一直線にのびていました。

 ははははは・・・

 笑い声が聞こえています。

 時計の音が大きくなりました。チックタック・・・。やがて時計の針が逆まわりにすごい速さで動きだしました。茂のいる場所はもとどおり自分の部屋の中です。

 奇妙な子どもが目の前にいました。にっこりと茂にほほえみかけているようでした。ほほえみかえす余裕などもちろんなく、茂は奇妙なこの子をじっと見ていました。

「やあ、茂くんだね」

 この子はそういいました。コバルト色のビーズ玉の首かざりをしています。白いものをきていますが、見るからにへんなかっこうです。

「ぼくの名前は『デコ』っていうんだ」

「『デコ』?」

 今まで聞いたことがない変わった名前です。とにかく、目の前のこの子は、ふつうの子どもでないというのはよくわかりました。もしかしたら人間の子どもではないのかもしれないという思いが直感でしました。

「きみはどこから来たんだい」

「ぼくかい。遠い星から来たのさ」

「じゃあ、宇宙人なのかい」

「そういうわけじゃない。机の上の青い花びんさ。あの中には別の宇宙があるんだ。その中の星からやって来たんだ」

 なにをへんなこと、いってるんでしょうか。奇妙なこの子は続けました。

「いろいろな世界があるって、ほんとうに楽しいよね。刺激的だよね。ぼくはいろんな世界を旅するのが、たまらなくすきなんだ」

 デコというこの子は、ひとりで満足そうにしゃべっていました。

「いろんなとこに行って始めて、いろんなものやいろんなことについて、わかるんだよ。茂くん、きみもいろんな所に行くようにしたらいい」

 茂はだまっていました。それにしてもへんな話です。このデコのいったことをまとめると、ちっぽけな花びんの中に住んでいて、時おり、ほかの世界に旅に出るのがすきだということですが。こんなことを信じろというのでしょうか。

「ほんとだよ。ぼくのいうことは・・・」

 すかさずデコはそういいました。

「ねえ茂くん。世界はひとつじゃないんだ。きみもできる限り、いろんな世界を見たほうがいい。いろんな世界があることを知ったほうがいい。ひとつの場所から動こうとしないのは、世界をうんと小さくしてるってことさ」

 茂はちょっとむっとしていました。勝手に人の部屋にやってきて、一方的にわかったようなことをえらそうにいってるけど、同じ子どもじゃないかと・・・。

「それはおかしいよ」

 茂はやっとくちびるを開きました。

「どんなにつらくても、何があってもにげたりしないで現実をのりきっていかなくっちゃ。現実はきびしいものなんだ」

 それを聞いたデコは、にっこりしながらこういいました。

「そうかな」

「えっ」

と、茂のほうが聞きかえしました。

「ほんとにそう思ってる?」

 デコはゆっくりといいました。

「あした、算数のテストがあるんじゃないの」

 そうでした。あした、にがてな算数のテストがあるのです。

「ああ、あしただけど、それはべつに、どうだっていいんだ。いい点とったって、何の意味もないじゃないか」

 茂が、それなのに勉強もしていないいいわけをするようにそういうと、デコはいいました。

「ほんとにそう思っているのかな」

 そういわれて茂はどきっとしました。デコはいいました。

「いつもそうじゃないのかい」

「えっ・・・」

「今やらなくてはいけないという時に、あれこれ理由をさがしてきては、できないからってあきらめる。そしてほっとしてるんだ。そしてあとになって必ず、やっぱりあの時やっといたらよかったって思うんだろ。きみって、そうなんだろ」

「・・・・・・」

「ごめん、でもいわせてね。きみはまだ子どもだよ。だから今からだったら、何でもすきなことを選んでできるはずだよ」

「そんなに世の中甘くないよ」

 茂はこの小さなデコにおいつめられたようでした。机にむかい、例の青い花びんをのぞきこんでいました。デコがうしろからさけびました。

「今、その中をのぞくんじゃない。どんどん迷いこんでいく」

 たしかに、おそろしい気がしていました。でもだんだん中にすいこまれてしまいそうです。

「だめだ。見るな。だめだ!」

「わかってる。わかってる、つもりだけど・・・」

「目を閉じろ、早く」

「だめだよ、すいこまれる!」

 あっというまに茂は宇宙へほうり出されていました。広い広い空間の中にぽつんとひとりきりです。茂は気が動転していました。そして声を限りにはりあげていました。こんなに広い宇宙の空間をたったひとりでさまよっているなんて、そんなこと、もちろん想像したことさえありません。ここは息もふつうにできますし、からだも自由に動かすことはできます。ただ、いいようもない孤独におそわれていました。

 たくさんの星です。限りないほどの水色の星々がまたたいていますが、あの中に地球はあるのでしょうか。いや、そうではないはずです。この宇宙は茂の机の上に置いてある花びんの中に存在している場所なのです。コバルト色の果てしない宇宙空間・・・。しかしそれはあの花びんの中の世界です。

 あまりにも長い時間泣き続けて、もうそれ以上泣けなくなった時、声がしました。

「おい、落ち着くんだ。落ち着いて。聞こえないかい。ぼくの声が・・・」

「ええっ」

「ぼくだよ。デコだよ。だいじょうぶ、落ち着くんだ。いいね」

 その声は、茂の耳から聞こえているのではないことに気づきました。

「これって、テレパシー・・・」

そう思った時、

「その通り。ぼくがついているからあわてなくていい」

というささやきが茂の心に届き、茂はようやくわれを取りもどしました。デコがずっと心を見すかしたような話しかたをしていた理由が、これでわかりました。

「茂くん、そこがガラスの世界だよ。感想はどうだい」

「ガラスの中だなんて、信じられない。悪いけど、ほんとに信じてないよ」

 そういいながら、茂は自分を取りかこむ空間にちらばる星々を見まわしていました。それを察してデコは説明を続けました。

「ついでにいっておこう。きっときみは気づいていないと思うけど、きみもそこから見える星たちと同じように、青くまぶしく光っているんだよ」

「ええっ」

 茂はとっさに自分のからだを見ました。そして、どうしてそれまで気づかなかったのだろうと思うほどまぶしく青い光を全身からはなっている自分の姿を知らされました。

「きみは今、ひとつの星になってるんだ」

 全身が青っぽく光っている茂の顔色が心なしかさらに青ざめたようでした。

「そんなのいやだよ」

「まあまあ、落ち着くんだ」

 エメラルドやトパーズの星もあります。宝石の光のように、無数の星がかがやいています。デコは続けます。

「この広いガラスの宇宙はひとつの生命体、つまり、いのちなんだよ。そしてここではすべてがその分体なんだ。もちろんきみもね」

「なにをいうんだ。ぼくはぼくさ。ぼくは、ぼくの意思で生きてるんだ」

 ふだんはこんなこと考えたこともありません。でも、ここにいると、自分などこの宇宙の中ではとるにたらないほどちっぽけな存在だということを思い知らされる思いがしていたのです。デコのいうことも実は認められる気がします。

「いや、きみだってすごいんだよ」

 テレパシーでのデコの話は続きました。

「実は、きみは今、いろんなことを思いどおりにできる力をそなえてるんだ。ほら、きみが出してるその光が証拠さ」

「思いどおりにできるって・・・」

「ああ、思ったことはなんでもできる。だからもとの世界にもすぐ戻ることはできるんだ」

「ほんとう?」

「ほんとうさ。でも、いったんもとのきみに戻ると、その力はなくなってしまうから、おそらくガラスの中の宇宙へは二度と行くことはできなくなるよ」

 茂の心にちょっぴり余裕が生まれていました。もとの世界に戻れることができるなら、あわてる必要はないと考えました。

「十分だけだよ」

「えっ?」

「十分たったら戻るんだ、もとの世界へ」

「たったそれだけ?いやだなあ」

「だめだ。十分たったら戻らないと・・・。宇宙にとけてしまったらどうする?」

 心の中がぜんぶ見られているので、うそもつけません。茂はしぶしぶしたがうことにしました。

「そうだ。茂くん、ガラスの宇宙をよく見てごらん。永遠で、変化しないもののように思うかもしれないけれど、少しずつふくらんでいるんだ。どうなっていくのかはぼくにもわからない。でもここに存在するものはすべて平和というひとつの目標にむけて生きているんだ」

 すべてがあまりにも突然すぎて、ひとつひとつを理解するなどできるはずはないのです。でも、まちがいなく想像をこえた世界が存在しているのはわかりました。

 満天の星。それぞれが表情を持っています。明るい星もあれば、消え入りそうにしか見えない星もあります。たがいの位置でそれぞれかがやいている間がらなのに、星々たちには強い一体感があるのでした。ただ茂はその間、なにも考えていませんでした。

「そろそろ、もどっておいで」

 デコにそういわれて、はっとしました。そんなようすにデコは笑っていいました。

 「 ははは。今きみは、宇宙と完全にひとつになっていたんだよ」

 茂の心はきれいに洗われていました。

 ガラスの宇宙から、茂のへやにもどろうと強く念じると、あっという間にへやにもどっていました。デコが笑顔でいいました。

「いろんな世界を見たほうがいいとはいったけど、まさかガラスの宇宙にまよいこむとは、ぼくもおどろいたよ」

「ごめん、デコ。でも、きみがいってたこと、今はよくわかるような気がする。ありがとう」

 もっともっと話が聞きたいと思っていました。でもデコはもう帰らないといけないといいます。残念ですが、お別れです。

「またいつか、かならず会おう」

「デコ、ほんとにありがとう。またかならず遊びにきて。待ってるよ」

「さようなら」

 一瞬、まっ暗なやみの世界になり、そして静かに茂のへやはもとのようすにもどっていました。

「ありがとう、デコ・・・」

 茂は青い花びんをのぞいてみました。この時小さな流れ星が、青いガラスの中を移動していくのを決して見のがしはしませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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