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星彦のねがい

 

 

白いまぶしい空高い太陽が西方の低い山々すれすれの高さまで落ちて紅々となり、上空から夜が訪れようとしています。

村人たちは一日の仕事を終えて、それぞれに灯りをつけて夜を迎えようとしていました。次第にあたりは夜になっていき、西にわずかに残っていた紅みも全てが紺色の空にのみこまれてしまいました。

最初に輝いた星は、とびきり明るい美しい星です。

星彦はこの星を見上げていました。悲しそうな顔でしたがだれにも見られていないことを知っていました。

やがてうしろから足音が聞こえてきました。

「めしら。めしらよ。星彦よ、食おい」

母親のとめどでした。星彦はにっこりとあとについていきました。

かまどのわきのそまつな食卓で、母子は夕食をとりはじめました。小ぬかだんごに大根の葉だけの貧しい食事でした。それらを食べ終え、母親のとめどに礼を告げると、一間ほどの広さの自分の寝床に帰り、壁のすき間から、またあのひときわ明るい星をじっと見はじめました。

星彦の瞳がきらりと光りました。そしてこの星も一度大きなまばたきをしました。とめどの声がします。

「早よ寝りょおよ。明日もふんばって働こい」

星彦は一つ返事をしました。いわれた通りに、すぐに寝息をたてはじめました。

数日来続く好天で、幾分畑の土は乾いてかたくなっていました。母子は日の出と同時にここで働きはじめました。ほとんど休む間もないほどに精を出して働くのです。母子にとってそれはごく当たり前のことでした。

「ぬしら、また今日もきばっとらい。腰だきゃぬかすなあよ」

 隣の畑の翔弥じいがそういいました。くわを持って畑地を耕すには、腰の力が必要です。腰の使い方をまちがえると、たちまち強く痛めてしまいます。翔弥じいは星彦ら母子を気遣ってくれていたのでした。

「じいも、年寄りが気張りすぎて、ぽっくりせんように用心してれ」

 とめどもじいの体を気遣ってそういいました。星彦は仕事を続けながら、そんなやりとりをにっこりとして聞いていました。青い青い空も、心優しい働き者たちを、広く包みこむかのようにおだやかなようすを見せていました。

 そんな時、この広い空のある一点が、きらりとかなり強く光り輝きました。そのことに気がついたのは星彦だけでした。星彦の眼が光り、この時から星彦の表情は,今までにはないきりりと精悍なものに変わってしまいました。もっとも、母親のとめども、隣の畑の翔弥じいもこの変化を知るにはいたりませでした。それぞれが懸命にいつも通りの仕事を黙々と続けていました。

 太陽がやや西に傾きかけました。とめどが少々はしゃぎ気味に、畑の南側でくわを打つ星彦に問います。

「のう星彦よ。今日よ、今日の日よ。今日の日何の日か知らんろうのう。ええ?」

 くわを持つ手を休めて立ちつくす星彦に、とめどは間髪を入れずに言葉をはさみこみました。

「ぬしの生まれた日よ。十五年前、ぬしの生まれた日らよ。ありがたいものらねえ。ほんに、ほんにい・・・」

 神様への感謝の気持ちか、太陽に手と手を合わせ、頭を深く下げました。うつむいたとめどの眼から、ぽたぽたと涙が畑の土に落ちていました。

「ありがたい。ありがたい」

 その姿に、星彦ははじめて母の老いを感じました。でもその姿は、この一人息子が今日まですくすくと育ち、立派な若者になっていることに対しての深い感謝の想いに満ちあふれていました。

「おっ母あ」

星彦はついにこらえきれなくなり、大声で泣きはじめました。大粒の涙が、ぽたぽたと地面にこぼれていました。大粒のしずくは、二十も三十も畑の土の上に落ち、深く大地の中に沈んでいきました。

「こらま、星よ、星彦よ。ぬしが泣いたりた、めずらしいの。これこれ」

とめどは、ちょうど若い母親が泣いている赤ん坊をあやすように、星彦の肩を抱いているのでした。ちょうど十五年前、星彦を拾った時のことを思い出すように・・・。

十五年前の今日、ちょうど一番星が輝きはじめた時でした。とめどは一日の仕事を終え、夫の源与と、家に戻るところでした。

「おう、とめどよ、たいへんらあ」

 源与が軒下で見たのは、まだ生まれたばかりの赤子でした。身には何もつけず、まっ赤になって泣いていました。

二人は赤子を大事に家に中に入れました。そしてそれから、この子の親を探しはじめました。あたりをずいぶんまわりましたが、手がかりは見つけられませんでした。

赤子はおなかをすかしているようすでしたが、とめどには乳を与えることはできません。仕方がないので、夫婦は乳が出る動物のいる家を探し出し、わけてもらいました。

何日かたちましたが、結局赤子の親は見つかりませんでした。

「子捨てらなあ、こらあ。かわいい赤子を」

「いんや、授かりもんかも知らねえて」

 源与ととめどの間には、それまでどうしても子供が授からなかったのです。二人は天からの授かりものとして、この子を育てることにしました。この子を拾ったとき、空に一番星が光っていたので、この子を「星彦」と名づけました。

 こうして星彦は大事に育てられました。残念なことに二年目に源与は病でなくなってしまいましたが、その後はとめどの手で星彦はすくすくと成長していきました。

 星彦もとめどの愛情に深く感謝していましたので、いたずらに甘えることもなく、子供心に母親を気遣い、精一杯に助けていくつもりでしたし、立派にそうしていました。

十三年目に、星彦は自分が星の皇子であることを知らされました。それまで、夜空を見る時、いつも自分が星にささやきかけられているような気がしていました。それがどうしてなのかはわかりませんでした。そしてちょうど十三年目の夜、自分の正体を知らされて、冷静にその現実を受けとめることができたのでした。星彦はそれほど賢い若者でした。

その時、あと二年、つまり星彦が源与ととめどに拾われた日から十五年目の夜に、星彦は自分の星に戻り、帝として星をおさめなければならないことを聞かされました。それは決して拒んだりはできない、絶対的な宿命だったのです。

その夜、そう、そう、十五年目の夜というのが、この今日の晩だったのです。

「星へなんて、行きとない・・・」

星彦は小さくつぶやきました。うらめしそうに空を見上げました。広く世界をおおった空に現れた星々はそれでも、とても美しいのでした。

星彦を深い悲しみが襲っていました。とめどは星彦を愛していました。星彦もまた、とめどを心から大切に思っていました。

これまでのことを思い返していました。もちろん裕福とはほど遠い暮らしでしたが、星彦はいつもあたたかい母親の愛情を全身に受けていたことを繰り返し感じていました。

日に日に年老いていく母親を残して、今夜星の宮廷に旅立たなければならぬわが身を嘆きました。しかしいくら嘆いたところで、それは避けようのないさだめだったのです。

「せめて、おっ母あを星に連れてくこたあ、できねえらかあ・・・」

星彦はそういって、すぐ首を横にふりました。長いこと住みなれたこの里を離れることさえ、とめどにとっては耐えられないでしょう。まして、遠い遠い空のかなたの星に行かせるなど、かえって残酷すぎるに違いないことなのです。

空は暗くなっていました。夜の食事も終わりました。もう時間はありません。星彦は二度と会えないとめどの顔をいつまでも忘れることがないよう、最後にじっくりと眺めておこうと思いました。土間で何か仕事をしているとめどに近づきました。

「おっ母あ・・・」

「おう星彦よ。疲れたろう。そうそう、きれいな星の夜ら。いっしょに見よかい」

表に出て、親子は石に腰かけて夜空を見上げました。果てのない紺碧の空は、悲しいほどに神秘的で美しい世界でした。とめどは歌を口ずさみました。

 

おまえが大きくなった夜に

どんな祝いをくれようか

星ッコ、一コ、二コ、三コ

いやいやたんとつかまえて

ひもで通して輪コつくり

首からさげて祝うとしょ・・・

 

星彦の感情とはまったく対照的に、とめどはいつも通りのおだやかな表情でした。歌声もまたおだやかでした。星彦がずっと小さかった頃に母の背で聴いていた思い出がよみがえってきました。星彦はまたもたくさんの涙があふれるのを止めることができません。

「おっ母あ、おらいやだあ・・・」

「おう星よ、どうしたあ」

「おら、星の帝にならにゃいかんのって。もうすぐに、もうすぐに空の果てに行かにゃならんのって・・・」

とめどは、にわかに呆然としました。星彦は泣きさけびました。

「もう、もう時はねえ。すぐ、星が光るぞい。そしたらもう、ここにおれんぞう」

 星が一つまばゆく光りました。そして大太鼓の音がどんどんと鳴り、金色の筋が、まぶしいその星からこちらへ一直線に伸びてきました。金色の道をすべるように向かってくる三人ほどの影が見えました。

 とめどは体が動きません。目も口も大きく開けたまま立っています。

もう虫の音も聞こえません。動物も植物も里人たちも、魔力にかかったように眠らされているのでしょうか。

「皇子、さあまいりましょうぞ。星人はみな待っておりまする」

 一人が両手をさし出しました。銀色の装束も、また顔も体つきも、村にいる人のものとはまったく違っていました。

星彦は自らの意思とは反対に、三人の異人にほうへ吸いよせられていきます。

「おらァここに残るぞい。連れてかんでくだせ」

「ほうほう、ここで何をおたわむれになられまする。ささ早う・・・」

金色の道まで導かれてしまいました。星彦は激しい抵抗を続けました。

「星彦ォ!」

とめどが手をのばします。でもその足はまったく前へは進めません。

「星彦ォ!」

金色の道から星彦がこちらへ来ようと必死で体を動かそうとしているのが見てとれました。でも次第にその姿はとめどの視界から遠ざかっていきます。

星彦は、とめどのもとへ、どうしても、どうしても戻らなければならない、そう思いました。

「おっ母あ」

 星彦の体は、地上のとめどのほうへは、ほんの少しも近づきはしませんでした。

「おっ母あ」

 それでも星彦は、どうしてもとめどを一人にさせるわけにはいけない、そう思うのでした。

「おっ母あ・・・」

 なんと、星彦の魂がその体をはなれました。魂は、すぐにとめどのもとへ、たどり着きました。

「星彦、ぬしゃあ・・・」

 とめどは張りさけるほどの大きな声で泣き出していました。魂だけになった星彦は、そんな母親を抱きしめていました。

「おっ母あ・・・」

「星彦ォ・・・」

 その光景を見て、たまらずに泣き出した者がいました。三人の異人たちでした。一人が涙をぬぐいながらいいました。

「わがつとめとても、かくなるむごきことを重ねるわけにはまいりませぬ。皇子、先ほどよりの我らがご無礼をお許しくださりませ」

「皇子は、思いやり深きお方でござりました。お許しくださりませ」

「あとは、我々にお任せくださいませ。星の上様へは誠をもって真意をお伝えいたしまするゆえに・・・。さてもこの肉体はくれぐれもお大事になさいませ。情け深き母上様のためにも・・・」

 そして魂のぬけた体を丁重にさし出しました。

 星彦の魂はふたたびその体に戻りました。

 すっかり止んでいた虫の音が響きはじめました。あたりが少しずつもとに戻ろうとしていました。

「皇子、幾久しくおすこやかにあられますよう」

「星に行かんで悪かった。許してくだせ」

「星彦連れて行かんでくれて、ありがとやんした」

 三人の異人たちは、金色の道に歩いていきました。その道は空からの一直線の光の帯のようでした。金の帯は見る見る短くなっていきました。やがて、一つの星に吸いこまれるように消えていきました。

「おう、なんかあったんかのい。ざわざわしとらんかったかのい」

 翔弥じいがきょろきょろと見回すように星彦たちのそばに寄ってきました。

「そしたことはなんもなかろう。ほら静かな星の夜らあよ」

 とめどはうっとりと空を見上げてそういいました。

「今夜は、とても幸せな星の夜ら。のう星彦よ」

 星彦はくすりと笑いました。目にはうっすらと涙が残っていました。

 美しい夜でした。

 

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