ジフの経験
南の海には、たくさんのくじらたちがいて、平和にくらしています。
青いきらきらの水面にぷかんとうかんで、お日さまと話をするのが、くじらたちにとって一番ぜいたくなひとときです。
子どもくじらのジフも、ちょうどそんな時間をすごしていました。今は真夏で、毎日きびしい暑さが続いています。
「ねえ、お日さま。暑いよぉ。もうちょっとすずしくできないの」
ジフはお日さまにそういいました。するとお日さまは、
「いやいや、申しわけない。でもこれがわたしの仕事だから、どうしようもないんだ。もうしばらくしんぼうしてくれないかな・・・」
見ると、お日さまも汗だくだくです。顔をまっかにして、暑いのをがまんしているようです。
「そうだ。お日さまがきっと一番暑いのに、がまんしてるんだね。それなのに、わがままいったりして、ごめんなさい」
そういうと、ジフは海の中にもぐっていきました。深くしずむと水はひんやりしていて、いい気持ちです。ジフはあのお日さまにくらべたら、ずっと楽なんだと思いました。むれをなして泳ぐ魚たちの間をすりぬけて、もう一度上のほうへ上がっていきました。海の中から、ぷはあと口をあけて、一度いきをしました。と、その時、
「ああジフ、ここにいたの。たいへんたいへん、ぼくといっしょにおいで」
と、かもめのアンディがあわてたようすでいいました。
「どうしたの」
「いいから、ついておいで」
そういうと、アンディは東のほうにむけて、つばさをはためかせました。ジフはいったい何があったんだろうと思いながらアンディについていきました。
「ねえアンディ、どうしたのってばぁ」
「もうすぐだからまってて。ついたらすぐにわかるよ」
そしてもうしばらく行くと、たしかに何がたいへんなのか、ジフにもすぐにわかりました。
「わあ、たいへんだあ」
「ね、たいへんでしょ」
何がたいへんなのかというと、今は昼間で、あたり一面がまぶしい明るさなのに、夜みたいにまっくらな空間があるのです。そのあたりだけ海より少し上から水面のずっと下まで、まったく夜みたいにまっくらなのでした。
「なんでこうなったの」
ジフがアンディに聞きました。するとアンディは、
「ごらん」
と、夜の部分を見るように目くばせをしました。見ると、そこには星の子がいました。星の子を中心に小さな夜の世界が広がっていたのです。
「やあ」
ジフが星の子にそういいました。星の子は、
「こんにちは、くじらさんだね」
と、いいました。
「やあ」
と、今度はアンディがいいました。
「こんにちは。かもめさんだね」
星の子はぱちぱちとまばたきをしながら、礼儀ただしくあいさつをしました。ジフは星の子に聞きました。
「ねえ、どうしてこんなところにいるの」
すると星の子は答えました。
「お空でねんねしてたら、おちちゃったみたい。いつもぼく、おかあさんにねぞうが悪いから気をつけなさいっていわれるの」
アンディは、
「それはたいへんだったね。空の上ではおかあさん、心配してるだろうね」
といいました。
「元気におかあさんのところに早く帰らなきゃね。雲の上までだったらぼくたちかもめがつれてってあげられるけど・・・」
「ううん。お空の上からはしごをおろしてもらうからだいじょうぶ。あのね、前に一度ぼく、地上におりて、もどれなかったことがあったから、長い長いはしごを作ってもらったんだよ」
それだったら心配はなさそうです。ジフとアンディはほっとしました。
いつの間にか、星の子のまわりの夜の部分に、たくさんの鳥たちが入りこんでいました。
「ここはしずしいや」
「ひんやりしてて別世界だぞ」
さんさんぎらぎらの天気ですっかりくたびれていた鳥たちは、この思いがけないオアシスにおおよこびでした。
「どうもありがとう。たっぷりすずませてもらったよ」
鳥たちは星の子にお礼をいって、また暑い昼間の世界にもどっていきました。やがて星の子が、ジフとアンディにいいました。
「ねえ、海って大きいんだね。青くてとってもきれい。お空にもどったらみんなにいうよ」
「そうかい。でもお星さまのいる空の上もけしきがよさそうで、すごくうらやましいよ」
くじらのジフがいいました。アンディは、
「そうか。ジフは空が飛べないから、けしきを見おろしたことがないんだね」
「でも、ぼくはくじらだからしょうがないさ」
ジフはしっぽをふって、水面の水をぴちゃぴちゃとはねながら、そういいました。
「見せたいな」
星の子はそういいました。
「えっ」
アンディが聞きかえすと、星の子はもう一度、
「くじらのジフくんに、空からのけしきを見せたいな」
と、いいました。ジフは、
「もし見られたらそれはすてきだけど、でも、無理な話だよ」
といいました。星の子はそこで、うーんと考えこんでしまいました。なんとか子どもくじらのジフに、空からのあの美しいけしきを見せてあげられないものだろうか、と。
かもめのアンディも何かよい方法はないかと考えはじめました。星の子もアンディもしばらく考えていましたが、いい考えはうかびませんでした。
「いいよ、いいよ。無理だってわかりきったことさ」
くじらのジフはそういいました。
「ぼくには空を飛べる友だちがたくさんいるから、空を飛んでる時の気持ちとか、なんとなくわかる気がするんだ」
ジフは自分のためにこれ以上、できそうにないことを考えさせるのも悪いと思いました。
「そうかい・・・。残念だな」
星の子はさびしそうにそういいました。
やっぱりくじらは海の生きものです。くじらたちにとっては、ずっと海の中がすべての世界なのです。
その時、水平線の向こうに、まっ白い入道雲が顔を出しているのが見えました。
もこもこもこ
もこもこもこ
もこもこもこ・・・
「あれだ」
星の子がさけびました。
「さあ、あの入道雲のところへ、いそごう」
そして星の子とジフとアンディは、かなりの道のりでしたが、地平線のあたりに見えていた入道雲の場所へ来ました。
「今ならちょうどいいよ。ジフくん、このもこもこの雲のくぼんだところに、ごろんとのっかってみて」
ジフにいわれるとおりこころみました。でも、まだ子どもとはいっても、ジフはくじらです。そうかんたんには体を水面より上に上げることはできません。
・・・ごろん。ようやくジフは、入道雲の上にのることができました。
もこもこもこ
もこもこもこ
もこもこもこ・・・
やがて少しずつ雲の形はかわり、ジフは雲のてっぺんにどっしりとのっかっていました。ジフをのせた入道雲は、見る見る大きくなっていきました。てっぺんのジフは、海面よりも、なん百メートルも高いところまでのぼっていました。
「わあ、すごいや」
ジフは思わず声をあげました。そこから果てしない海を見おろしていました。いつも見ている海とはちがっています。海の色って、丸みをおびた水平線のあたりと、ま下あたりでは、ずいぶん色がちがうのです。さらに見まわすと、遠くに島が見えます。はるかかなたには陸も見えます。ジフはうっとりと、ただうっとりと、はじめての視界にみいっていました。
「こんな世界があったんだな」
ジフはさかんに身ぶるいしながら、はじめて出会う世界に酔っていました。
ひとしきりけしきを楽しんだあと、ジフは海にもどってきました。そして星の子やアンディに心からのお礼をいいました。
やがて空から、長い長い、ほんとうに長いはしごがおりてきました。星の子はそれをゆっくりのぼっていきました。
「さようなら」
「さようなら」
空を飛べるアンディは、かなりの高さまで、星の子の見送りをしていました。
それから、またみんなにとって普通の時間がはじまりました。
ジフは何となくですが、気がついていました。自分が特別なくじらになっていたことにです。海の仲間たちだだれもしたことのない経験ができたことによって、ジフはものごとを大きな目でとらえるこができる、ちょっとかっこいいくじらになっていました。

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